地震発生から、もうすぐ丸2日。
被災された方々には心からお悔やみ申し上げます。
テレビでの中継を見る度、心が締めつけられる思いです。
どうか、どうか、一人でも多くの命が救われますように・・・
私はというと、地震発生時には池袋でのクラス参加を終え、夜の部まで時間があるので、昼食中でした。
1階にあるガストだったので、初めはテーブルの下に隠れる事も考えましたが、余りの大きな揺れに建物倒壊の危険もあると思い、皆で建物の外へ飛び出しました。
ビルは恐ろしい勢いで揺れ、信号機も今にも倒れそうな勢い。
しかし、さすがは、東京池袋、皆、耐震構造になっているので倒れないものなんですね。
残りの食事をどうにかお腹に詰め込んで、(この後食べれないかもしれないと思ったので)メモリープレイスの様子を見に戻りました。
エミーさん、まちゅ♪さん、社長の健太郎さん、店長のヒトミちゃん、スタッフのJ氏、エリカちゃん、ひろみさん、マリちゃん、当時お店にいたお客さまが道路の分離帯に避難しているのを発見。
ビルの8階にあるメモリープレイスの揺れは相当のものだったようです。
全部倒れて足の踏み場もないって。
ヒトミちゃんが涙ながらに言うのを聞いて辛かったです。
かなり長い時間、表で避難していましたが、だんだん日もかげり、
寒さが厳しくなってきたので、どこか屋根があって休めるところを探そうということになり、近くのサクラカフェへ移動しました。
ここは外国人には有名な格安ホテル「サクラホテル」の1階にあります。
ここで温かい飲み物を注文し、ホカロンを分け合って、暖をとりました。
大きなテレビがあって、NHKを流していたので、そこで初めて地震の概要が見えてきました。
家族とはなかなか連絡がとれないし、三浦半島には大津波警報も出て、
生きた心地がしませんでした。
うちは海岸線から100メートルくらいしか離れていないんです。
東京湾に面しているのでそれが吉とでるか凶とでるかもわからないし。
電話が繋がらなくても、メールなら送れることが分かり、
店のスタッフに連絡して、家族を見にいってもらって、
地震の被害も津波もなかったことが分かり、
とりあえず大きく胸をなでおろしました。
その内に電車は今晩は全線運休ということになり、帰宅難民に。
友人からも安否を気遣うメールや電話がきて、
状況を伝えると、その内の一人が車で出てきているので、
池袋まで迎えにきてくれることになりました。
道路は大渋滞で、いったい何時に来れるか全く予測できませんでしたが・・・
ずっと表にいたので、だんだん、花粉症の症状が重くなって、
目はかゆくてたまらないし、鼻水鼻づまりはひどいし、頭はガンガンするし、なんだか熱っぽい感じ。
薬も持ってきていなかったので、同じ薬を飲んでいるお友達から
分けてもらいましたが、症状が改善されず、薬局に薬とティッシュを買いに。
これでなんとか、鼻だけは治まりました。
mixiのつぶやきでその時の状況をカキコミしたら、沢山の方から
励ましやアドバイスを頂きました。
ありがとうございました。
そこで池袋の避難場所が近くの立教大学であることがわかりました。
どこも宿泊場所がみつからなければそこへ行こうということになりました。
サクラカフェではフードが完売。
お店の人がスナックやコロッケを配ってくれました。
有難かったです。
メモリープレイスの皆さんにも本当にお世話になりました。
宿泊場所を一生懸命探してくれたり、立教大学まで様子を見に行ってくれたり。
サクラカフェが夜11時でクローズということで、
サクラカフェの方にお礼を言って、立教大学へ移動。
途中、温かいものが食べたいということになり、
皆でラーメン屋さんへ。
そして立教大学に着いたのが、夜11時頃だったでしょうか。
大きな教室に通され、とりあえず、椅子には座れるけど、
横になって眠れるスペースはなし。
12時頃に友人が立教大まで到着し、皆さんにお礼を言って私は帰宅の途につきました。
道は渋滞していましたが、スムーズに走れるところもあり、朝4時頃に無事帰宅しました。
長い一日がやっと終了。
戻ってからも被災地の状況が心配でテレビから目が離せず、
しばらくテレビを見るも、疲れがピークに達して、床につきました。
翌日は目の腫れがすごいことになっていて、片目ずつしかあけられなかったです。
でも再度の停電に備え、水を汲んだり、ご飯を炊いたり、食糧やホカロンを
買いにいったり。
これまた、非日常的な日でした。
父と母は昨日でかなり体力を消耗して殆ど寝ていました。
元気なのは、はるなサンだけ。
「遊んで遊んで」と言われてもそんな場合でないことは、
理解できていない模様。
5歳じゃ、この地震のこと覚えていられないかな?
普段から、防災準備しておくことがいかに重要か身にしみました。
そして、家族が生きて一緒にいられることが、どれほど大切なことかと・・・
もしも、大津波がこの地にも及んでいたら、私はいっぺんに、
家族を失うことになった訳です。
耐えがたいことです。
今回の地震、人ごとではありませんね。
自分にできることに何があるかを考えても、多くの答えを持ちません。
とりあえず、明日から募金活動に参加します。
>みこやんさん
コメントありがとう!
無事にお家へ帰りつけていたんですね。
良かったです。
東京はかなりの揺れでしたから、お家の中も大変だったんじゃないですか?
地震の後、連絡してくれたんですね。
ありがとうございます。
余震に怯えながらも、エミーさん他、MPの皆さんと一緒だったのが心強かったです。
店で打ち合わせすることが出来なくなったので、池袋の街頭でエミーさんに作品チェックをしてもらったり。
SBの締め切り、沢山抱えていますが、両親のケアや食糧の確保等に追われて、私も手つかずです。
使用する商材を11日ピックアップして帰るはずが、
こんな状況で、MPに置いたままだし。おそらく、倒れたものと混ざっちゃってわからなくなってますね。
クラス用の材料も届かないので、延期は致し方ないかなと思っています。
とにかく、今は日本中がひとつになって、乗り切るしかありませんね。頑張りましょう。
投稿情報: ろっぷ | 2011/03/14 23:08
ろっぷさ~ん!
ご無事で何よりです。
あの時、私はいそいで帰ったので、家の中で
地震と戦っていました。
家具の転倒を火事場の馬鹿力で、抑え込み娘に
「テーブルの下にかくれて~!」と叫び・・・
地震がおさまった後、ろっぷさんのことが心配になり、
何度か連絡しましたが、当然携帯はつながらず・・
でもその後は2日間、ぼー然としてしまい、
連絡する精神状態ではありませんでした。
SBの作品の締切近し・・でもとてもじゃないけど、
今の私にはSBに向き合う気になれません。
気持ちを強く持たなければ・・
そう思うのですが。
投稿情報: みこやん | 2011/03/14 14:16
>まさしさん
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
お店の方はモノとか倒れて壊れませんでしたか?
我が家はほとんどモノは倒れなかったので、
横須賀は比較的ユレが少なかったのかもしれませんね。
被災者の方のことを思うとどうにもやりきれないですね。
投稿情報: ろっぷ | 2011/03/13 17:12
被災され亡くなられた方々に 合掌
幸いに助かられた方々に今後のがんばりを祈ります。
またまだ救助を待つ方も早く救助されますことを心より祈ります。
ろっぷさん、その時東京にいた状況は大変でしたね、ご無事で何よりでした。
うちの娘もその時東京にいましたが、おそらく横須賀より東京の方が地震の揺れが大きかったと思います。
私は店を飛び出し、しゃがんで目の前のマンションが大きく左右し揺れるのをぼーっとみていました。道路工事をしていた方々は少し手を休めましたが、すぐ何もなかったかのように作業をつづけていました。
まさか東北でこのような大きな地震になっているとは全くわかりませんでした。
早い復興を祈ります。
投稿情報: まさし | 2011/03/13 16:59